安倍文殊院

陰陽道 晴明公 安倍晴明公 ゆかりの寺院

安倍晴明公

安倍晴明公は当山の開基である大化の改新以後の左大臣・安倍倉梯麻呂(安倍内麻呂)、遣唐使として唐へ渡った安倍仲麻呂、右大臣であった安倍御主人の系譜であり、安倍文殊院に残る口伝(口伝えの伝承)では、『童子丸(安倍晴明の幼名)は延喜21年(921年)に安倍の地で誕生し、幼少期に天文観測や陰陽思想を学んだ』と伝わっている。

安倍一族と陰陽道

安倍一族は陰陽思想伝来から非常に密接な関係がある一族であったとされる。特に安倍晴明公以降に加茂家(暦道)、安倍家(天文道)の二大陰陽道大家 として受け継がれていく。その後、加茂家は断絶し安倍家に暦と天文が統一され安倍家(後の土御門)が陰陽道の重鎮となった。
安倍文殊院では安倍の地に伝わる密教的な部分が残る陰陽道祭祀が代々伝えられ、今もその修法が行われている。

文殊菩薩と陰陽道

安倍晴明公が使った陰陽の秘術の中でも特に星を見て占う天文占星術は、文殊菩薩が著した経典と伝わる「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」(以後、文殊宿曜経)による影響も大きかった。
「文殊宿曜経」は安倍晴明公が書いたとされる秘伝書「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集」(以後、金鳥玉兎集)にも存在が書かれている。
金鳥玉兎集では、伯道上人が天地陰陽の理の教えを受けるため中国からインドにいる文殊菩薩を訪ね、その際に授かった智恵と秘伝書のひとつが「文殊宿曜経」であると書かれており、この「文殊宿曜経」は最終巻に組み込まれている。
この文殊宿曜経は宿曜師が主に使用していたが、陰陽師の安倍晴明公もこれを用いたことから「安倍晴明は文殊菩薩の化身」と人々の間で信仰されるようになったと伝わる。
安倍晴明公850回御神忌等でも文殊菩薩が祀られているように文殊菩薩は陰陽道にとって欠かせない重要な仏として考えられ、文殊菩薩が天文道や占星術の祖と仰がれるようになった。

星の信仰

陰陽道においての星の信仰は非常に重要なものである。安倍文殊院においても星の信仰が残されている。
まずは安倍文殊院の境内にある「安倍晴明公 天文観測の地」で、天文観測とあるように安倍晴明公も星と月の運行を見て占術を駆使していた。これは道教由来の「高い山の上で星(星神)を拝む」行為を安倍晴明公が理解していた為とされ、今もその高台が境内に残されている。
また、陰陽道において重要視されている神は、泰山府君神と鎮宅霊符神であるが、安倍文殊院では古くからこの神々を別名で泰山府君神を「北斗天罡消災解厄星尊」、鎮宅霊符神を「北辰鎮宅霊應如意天尊」という尊名で厚く信仰し、現在では九曜星とともに金閣浮御堂にてお祀りしている。
天罡とは道教が説く北斗七星であり、北辰は北極星である。
特に鎮宅霊符神は密教の星を司る尊格である「北辰妙見菩薩」と同位体であり、日本神道の「天之御中主神」と同一視されている。

結界札

安倍文殊院には古くから、安倍晴明公が当山に残したと伝わる安倍晴明公直伝の結界札が存在する。しめ縄同様に玄関に祀る特別な結界札であり、求める人が今も絶えない。
通常の結界札であれば、住居の中に魔の侵入を防ぐことを目的とするが、当山に伝わる結界札は鎮宅七十二霊符を根本とし、中央には人々を守るための「五芒星 桔梗印」を配置する。遁甲盤に方位を司る密教の尊格「十二天」が入り、方位除けの効力が加えられている。
方位の障りを無くし安寧をもたらすため、安倍晴明公が星と方位の守護神に祈りを込めて作った結界札であり、今も文殊菩薩の御宝前で祈祷を修して祈願者へ授与を行っている。

祈祷

本来の陰陽道は道教の修法、密教の修法、古神道の概念を用いた修法であったとも伝わる。
現在の安倍文殊院は、完全に神道化する前の陰陽道の系譜を受け継ぎ、道教、密教、古神道を根本とする祈願が古くから行われ、占術を行なう者も霊地として参拝している。
必要に応じて守札を頒布し、家や土地を祓い鎮め、災難や厄を祓い開運に導く等、様々な人々の願いを祈るという「祈祷」が今も伝えられている。